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大島薫さんとミシェルさんの交際から学ぶ「恋愛とは何か」という問題

2017年07月09日

私はなぜ大島薫さんとミシェルさんの交際にここまで注目するのか。そこには私の中で「恋愛とは何か」という本質的な問いがある。

世間一般の多くの人は「恋愛とは何か」と言うことについて理解しているようで、メロディアスで甘い恋愛から、別れや行き違いによる悲しみ、互いの信頼、生涯の相手など人それぞれ起伏がありながらも、恋愛を楽しんでいるようだ。

しかし前の記事で書いたように私には「恋愛とは何か」ということについて全く分からない。そもそも「恋愛とは分からないものだ」と行ってしまえば身も蓋もないが、とはいえ恋愛について探求したいと思っている。私の中での恋愛についての疑問点は主に以下の3つだ。

  1. 恋愛すると人はどうなるのか
  2. なぜその人、またはなぜその対象なのか
  3. なぜそこまで愛せるのか

この3つの問いを大島さんに当てはめて考えてみよう。問い1は後に回すとして、まず問い2についてはどうであろうか。大島さんの相手はなぜミシェルさんなのだろうか。大島から見てミシェルさんが理想の男の娘だから、もしくはそれに加え、ミシェルさんの性格が良いからだろうか。しかしそれではミシェルさんよりも理想的な男の娘で、更に性格が良い人がいた場合、どうなるのであろうか。恐らく大島さんはそれでもミシェルさんを選ぶであろう。であるとすると、何故ミシェルさんなのだろうか。この根源的な問いに対しては大島さんはまだ答えていないように思われる。

問い3についてはどうだろうか。YouTubeのLive配信を見ていれば分かることだが、大島さんはミシェルさん対して、相当に入れ込んでいる。配信では「この娘がこの世に存在しているだけで僕の悲しみは癒される」、「僕はこの人のために生き、この人のために死ぬから」等々の名言を残している。

では何故それほどまでにミシェルさんのことを想い、愛せるのか。私は大島さんからまだこれについての答えを受け取っていないが、何時かの動画で大島さん自身が何でこんなにミシェルのことが好きなんだろうと言っていたのが印象的だ。もしかしたら本人も分かっていないのかもしれない。

問い1はどうであろうか。これについてはLive配信から見て学べる。大島さんはミシェルさんのためなら何でもできるという全能感、生涯好きでいるという揺るぎない決意、相手のために全てを尽くそうという献身さなどだ。

それに加え、前述通り、大島さんはミシェルさんに対して数々の愛の名言を述べている。これらの発言を大っぴらにするというのは、世間に惚気を示すには有効かも知れないが、その分危うさは増しているのだ。

今はいいかもしれない、だが将来気持ちが変わらないとも限らない。だが発言は残りつづけるのだ。自身の発言を裏切るとき、大島さんのキャリアは大きく傷つく可能性がある。それは大島さん自身が一番よく分かっていることだろう。

正直なところ、恋愛が分からない私としては、何故ミシェルさんのことをここまで愛し、ここまで危うい発言をできるかは分からない。私が大島さんを知ったのはミシェルさんと交際した後なので詳しくないのだが、AV時代に積み立ててきたキャリア、その後文筆家として築いたキャリアがあるわけでしょう。それらに傷をつけるかもしれない発言をして大丈夫かと心配になってしまうのだ。

ただ皮肉なことに大島さんがミシェルさんへの愛を明け透けに、そして声高に叫んでいるからこそ、私はこの交際を注目することができたのだ。もし大島さんがミシェルさんへの想いは同様でありながらも、想いを2人のものだけとするならば、ここまで注目することはなかっただろう。

大島さんのように相手のことを深く想い、相手を支え、積極的にコミットしていくのが全ての恋愛の真理であり、全ての恋愛の理想だとは思わない。リスロマンティックのような片思い指向の恋愛もあるからだ。

ただ大島さんのミシェルさんへの愛は、(究極と言っていいかは難しいが)ある種 の面で煎じ詰めたところがある。多くの人が彼氏/彼女に対して、どれくらいの時間を使うべきか、どれくらい尽くすべきか、どの程度の距離感でいるか思い悩んでいる訳だが、これに対して大島さんは自分の一生涯をミシェルさんに捧げ、全てはミシェルさん次第とまで言っているのだ。

水(H2O)そのものの性質を研究するときに、誰も泥水から水を研究しようとは思わないことだろう、それよりは純水を使用すべきなのは明らかだ。それと同じように恋愛においても、研究対象として性や金目当て人や中途半端な気持ちの人を観察すべきではなく、相手に対してのどうしようもない深い想い、何一つ見返りを求めない献身さなどの愛をもっている人を見るべきなのだ。

人の内心を覗くことは出来ない以上、これが全て劇ではないと言いきることはできない。しかし大島さんは自分の立場を危うくするかもしれないのに、ミシェルさんへの愛を堂々と宣言しているのを思うに、それらの愛が真である可能性はそこそこ高いのではないかと思われる。

大島さんの愛が真だと仮定した場合、これほどあり難いことはない。何しろ、自身の想いや、自身の心境などについて(気恥ずかしい部分もあるだろうに)、全てではないにしろ明け透けに語ってくれるのだから。

私は大島さんの煎じ詰めた愛を見て、今までフィクションの中で語られていた本心から「僕の全てを君に捧げる」といったような愛が、現実においてもあるのではないか、あってもおかしくないと考え始めた。

この新たな発見が「恋愛とは何か」という問いの答えに近づいたかは分からない。しかしこういった恋愛もあるのかと、視野が広がったのは確かである。私は暇があれば今後もこの2人の交際に注目していきたいと思っている。その中で答えに1mmでも近けるのであれば、それだけで儲けもんというものだ。