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大島薫さんとミシェルさんの交際から学ぶ一生涯の愛

2017年06月29日

前回とはちょっと趣向の違う記事です。タイトル通り大島さんの熱い想いから一生涯の愛を学ぶつもりでいたのですが、学びきれませんでした。


大島薫さんとミシェルさんの交際について前回記事にしたのだが、大島さんはYouTubeにてLive配信を行っており、その中で交際について多く時間をとって語っているため、その時々の状況をウォッチすることができる。

配信された幾つかの動画を見たのだが、出会って4ヶ月にもかかわらず、大島さんのミシェルさんへの入れ込みぶりはすごいものがある。例えば2017年06月02日の配信だけでも以下のような名言が飛び出している。(正直なところ動画を何本か見てその中で熱い想い纏めようかと思ったのだが、たった1本で済んでしまった。)

  • 08:04 - あの娘を一生支えていく
  • 16:02 - ずっと好きだと決まってる
  • 17:45 - 絶対にこの娘ことを嫌いにならない
  • 27:02 - 僕はずっと一緒にいたい
  • 27:08 - 同じ景色を見て、同じ道を2人で歩いて行きたい
  • 29:15 - こんなに人を好きになったのは初めて
  • 1:02:00 - この娘がこの世に存在しているだけで僕の悲しみは癒される
  • 1:18:20 - あの娘しか僕にはいない
  • 2:01:50 - 僕は心も体も飼い主ちゃんのもの
  • 2:07:39 - 僕はこの人のために生き、この人のために死ぬ

動画を見始めた最初のうちは、当面の間のミシェルさんへの愛を述べた、若しくはミシェルさんへの愛を比喩的に述べたものかと思ったのだが、どうも最後まで見ていくと、本当に文字通り一生涯を捧げるようなのだ。

それにしても一生涯とはまた随分と大きな宣言だ。これは大島さんだけに言っている訳ではなく、それらの宣言をした人全てが対象なのだが、そこまで言いきって大丈夫なのかと不安になる。宣言は決してノーリスクではない、大いなる宣言が破られたときには大いなるしっぺ返しがあるわけだ。

一時の恋の燃え上がり、回りが見えなくなっている、恋に酔っている、一人で舞い上がっている等々の戯れ言は、大島さんは軽々と捻り潰してくれるだろう。とはいえ一生涯となれば話は別だ。

これからの人生全ての時間において、変わらぬ想いを持ち続け、支えていくというのは言うほど簡単ではない。何かの時に万が一ということもある。実際問題として結婚式で永遠の愛を誓いながらも、血みどろの離婚劇は起きているのだ。

  • どんなものにも飽きや惰性がやってくるのではないか
  • 100年の恋が冷める時もあるのではないか
  • 愛憎が表裏一体ならば、最も愛すべき相手が、最も憎むべき相手になることは?
  • 近づけば近づくほど、望ましくない点や、相違点が見えてくるのでは
  • 戦争、飢饉、病気、老齢などの社会的、身体的困難

私は大島さんとミシェルさんを含め多くのカップルの破局を望んでいる訳でも意地悪を言いたい訳でもない。しかし一寸先は闇、未来永劫上記のようなことが絶対に起こらないと一体誰が約束できようか。

そもそも「一生涯の愛」が合理的で理知的な判断なのかといえば、全然そうではないと思う。しかしそれを宣言、そして実行できるのが恋愛の魔力なのだと言われれば、そうなのかもしれない。

実を言うと私は恋愛というものについて何も分かっちゃいない。(これをクォイロマンティックとも言うらしいが、それはまた別のお話。)故にどうして一生涯の愛を宣言できるのかが、不思議でならない。しかしそんなことを気にしているのは私だけの様で、Liveでの視聴者コメントはそこには突っ込まず、皆暖かいコメントばかりだ。結局のところ、多くの恋愛感情豊かな人はこの宣言を理解できるのだろうが、私が理解するには程遠い様だ。

では大島さんのミシェルさんLoveを見て何も感じないのかというと、そんなことはない。ミシェルさんに対しての献身さ、慎み深さ、誠実さなどには感嘆の念を憶える。

今は好きで好きでたまらないのかもしれないが、宣言してしまった以上ここからが本当の勝負なのだ。ミシェルさんへの想いと支えが一生涯続くかは誰にも分からないが、できれば30年後ぐらいに実際にお会いして聞いてみたいものだ。「今でもミシェルさんのことを愛していますか?」と。